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。○水月の小唄○。
since:2006.01.01
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マスカレード・タランテラ<1>
――おい、お前。何ぼさっとしてる!

 突然、蒸し暑さを感じ、私は何が起きたのか分からなかった。

――さっさと持ち場に戻れ!

 声を上げても誰も来なかったさっきまでとは違う、たくさんの人の声と何か作業をしている音が聞こえる。

――聞こえんのか!?

 ここは薄暗く冷えた一室ではなく、照りつける太陽をしのぐ場所すらない採掘場――私にはそう見えた。
 崖にいくつもの洞窟が掘られ、そこから屈強とはかけ離れたやせ細った男たちが、たくさんの石や砂をトロッコを押し運び出している。その石や砂を女子供がどんな基準かは知らないが選り分けている。みな生気や覇気といったものは一切感じられず、ただ黙々と体を動かしているだけのようだ。
 こんな暑い中、よくやれるものだと私は少し呆れ気味に見ていた。と、そこに突然私の前に大きな男が来て、私に掴みかかってきた。
「さっきからお前は何してるんだ!」
 大きな声をあげ、襟元当たりに手を伸ばしてきた男の手を、私は反射的に叩き落し、男と距離をとった。
 そいつは私がそんな行動に出るとは思っていなかったらしい。一瞬キョトンとした顔をしたが、次の瞬間持っていた棒を振り上げ――私はその棒が振り下ろされる軌道から逃げるために後方へと飛んだ。
 しかし少し距離を見誤ってしまったようだ。その棒を避けるために、さらに半身引くこととなった。私にしては珍しい失態である。この程度の相手にちゃんとした間合いさえ取れなかったのだから。
 だが相手は私が避けるなどと露ほども思わなかったようだ。顔を真っ赤にし、さらに棒を振り上げる。
 私は、今度は見誤ることなく難なく避ける。
 次も軽く避け、また避ける。さすがにずっと逃げ回り続けるのも限界が来るだろう。正直、暑くてそれだけでやる気がうせてくるのだ。
 体も慣れてきたところで反撃に転じることにした。
 振り下ろされた棒を、体を引いて逃げるのではなく、反対に一歩踏み出し半身の状態で避け、踏み出した勢いを殺さずに相手の右足の甲を踏み付ける。男が痛みで手放した棒を拾い、うずくまっている男の左肩と首の間に振り下ろす。崩れたところにさらに攻撃しようとしたところで男の仲間らしき者が駆けつけてきた。
 私は男から距離を置き、次の相手を見据える。
「貴様! こんなことをしてただで済むと思っているのか!?」
 仲間の男はさっきの男より身なりがよく、筋肉も程よくついている。さすがに体力的にこちらが不利だろう。
 私は棒を低めに構え、相手の出方を待つことにした。こちらから仕掛けかわされるより、最小限の動きでカウンターを仕掛けたほうが有効だろう。
 だが、私のそんな考えも徒労に終わった。
 私たちの間に割って入ってきた者がいたのだ。
 そいつはさきほど身なりの良い男が走ってきた道のりを、ゆっくりと優雅に歩いてきた。
 黒い髪を後ろに一つで束ね、黒い瞳にはさらに奥に暗い闇があるかのように見るもの全てを凍りつかせるほど冷たい何かが潜んでいるように見えた。昨今貴族の者たちが威厳を見せつけるかのように好んで生やしているヒゲはなく、だがなんとも表現しがたい圧倒的な存在感があった。一歩歩くごとに、そこがまるでどこかの城の中庭だと錯覚してしまいそうになる。まさに存在からして貴族らしい貴族と言って良いだろう。
「クルデムール公……今、なんと仰いました?」
 身なりの良い男は、眉間にしわを寄せながら振り返り、貴族らしい貴族――クルデムールを見た。
「だから今回はこの者にすると言ったんだ。何か不都合でもあるのか?」
 クルデムールは男のことなど気にもせず、その深遠な瞳で私を見てきた。
「いや、しかし……先ほど厩番をお求めだと……正直申し上げまして、このような子供にそのようなことが出来るかどうか……」
「それはもういい。わしはこれが欲しいと言ったんだ。金はいつも通りで構わん……問題なければ連れて行くぞ?」
「いえ、問題など……どうぞ、クルデムール公のお好きなように」
 クルデムールは勝手に話を進め、臆することなく武器を持っている私の前へやってきた。
 私は手にした棒をさげ、クルデムールを見上げた。
「良い目だ。わしのところに来るが良い。……そうだな、今日からレスリィと名乗るが良い」
 私の名を聞くこともなく、まるで今までの人生はなかったかのように新しい名を告げた。
 私はいつの間にか緊張で強く握り締めていた手を解き、今度は軽く握る。
「レスリィ、か」
 新しい名前を口の中で転がすように呟いてみる。
 私は跪き、棒を地面に置き、クルデムールに対して頭を垂れた。何も言わずただ頭を垂れた。
「頭も悪くないようだな。いい買い物をした」
 クルデムールが微笑んだのを、私は気配で感じた。
 私も少し口元を緩めた。誰にも分からぬ程度に緩めた。


「レス! レスリィはおらぬか!?」
 主の声に、私は磨いていた銀のスプーンをテーブルに置き、慌てず、城の風紀を乱すことなく、それでいて素早く主のところへ向かった。
 部屋のドアが開いているが入ることなく部屋の一歩手前で一礼し、
「お呼びですか? だんな様」
と、言って微笑する。
 主――オリビエ・クルデムールは私の行動に満足したように頷き、部屋に入るよう促した。
 私は一礼してから部屋に入り、クルデムールの数歩前で止まり、また一礼した。
 クルデムールは主従関係が明確に分かる――人によってはくどいと思われる――この一連の動作を好む昔から変わらない貴族らしい貴族だ。
 だが、伏せた顔をあげ黒い瞳をのぞき見ると、そこにはもう昔のような深遠は今はない。
 小さい頃はその深遠に見下ろされる緊張感にいつも戦々恐々としていたが、十年も経てばこちらが少し見上げる程度。深遠さえない瞳は昔ほどの野心が感じられなかった。
「レス、この地図に書かれている場所に行き、そこにいる者からあるものを買って来い。この銀時計を見せれば名を言わずともものを出してくれる。あとはこの金を渡せば良いだけだ」
「分かりました」
 私はクルデムールから銀時計と金の入った皮袋を恭しく受け取った。
「本来ならハッシルが行くはずだったんだがな。あの馬鹿者が、風邪など引きおって。若い者と一緒になって釣りなど行きおってからに。あれほど冷たい川風に気をつけろと言っておいたというのに……馬鹿が」
 自分の息子が風邪を引いても大して気にしないクルデムールだが、六十を超える執事長ハッシルが体調を崩すと文句を言いつつ見舞いに行っているようだ。
 父が早くに他界し、若くして家督を継いだクルデムールにとって、ハッシルは父のような存在なのだろう。年を追うごとに文句を言いつつも労わりの言葉が増えていることに、本人は気づいているのだろうか。
 かつて貴族の中で一位二位を争うほどの影響力を持っていたクルデムールだが、三年前に嫡男セインオール・クルデムールに家督の半分以上を譲ると、都に一番近い城に移住し、今や愛人と密会することを余生の楽しみとしている。
 だからといって他の貴族への影響力がないわけではない。隠居してからと言うもの、相談という名目の交流は途絶えたことはない。数人に声をかければ政治を動かす力がありながらも、特に動く気配はなく、ここ数年政治の世界から遠ざかっている。何か機会を待っているのか、政治に興味をなくしたのか、クルデムールに相談に訪れる貴族たちにもクルデムールの考えは分からないようだ。
 とはいえ、愛人と手を切っていないのを見ると、野心は決して消えたわけではないだろう。
 私としても消えてもらっては困るのだ。
 クルデムールにはまだ役目がある。復讐者である私のために働いてもらうと言う役目が。
「それでは行ってまいります」
 私は一礼すると、部屋を後にした。

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